百人一首(76)法性寺入道/わたの原漕ぎ出でて見れば…楷書・ゆる文字・かな文字で描く書道アート

76番・法性寺入道前関白太政大臣

ポストカードに顔彩(絵の具)を使い、3種類の書体(楷書・ゆる文字・かな文字)をで描いています

クラフトパンチで、紅梅色の帽子をかぶった妖精さんたちや、雲や波、舟を作って飾り付けしているので、ぜひ!見てくださいな♪

他にも歌意・解説あり

最後に「わたしのひとりごと」

※画像はクリックで拡大するよ!

青い海と青い空、雲の波をこぐ舟をイメージしてみたよ!

櫂(かい)を見つけた妖精さん!無事に届けられたかな?

かいしょであそぼ!

出典:詞花和歌集 雑

わたのはら でてれば

ひさかたの

雲居くもいにまが おき白波しらなみ

歌の意味

大海原よ!

舟をこぎ出して

はるかかなたを見渡せば…

雲と見間違みまちがえるほどの

沖の白波が立っていることよ!

言葉の意味

【わたの原】
 大海原・広々とした海

【ひさかたの】
 「雲居」にかかる枕詞
  空・月・雲・天などにかかる

枕詞(まくらことば)は単語を整えたり、美しく表現する和歌の技法のことだよ!

【雲居】
 この歌では雲のことを指している

【まがふ】
 入り乱れて区別がつかない

ゆる文字であそぼ!

歌の解説

詞書(ことばがき)には…

77番の崇徳院が天皇の時に行われた歌会で「海上遠望」という題でよまれた歌としるされている

雲居」とは「雲のるところ」という意味

本来は「」のことを指す言葉だが、この歌では「」と解釈している

水平線 ーPhoto ACー

上の句では、「大海原おおうなばら」をながめ

下の句では、水平線の青い空に浮かぶ「」をながめている

水平線を見わたすと「白い雲」と「白い波」がとけあい、どこが境目さかいめなのかわからない景色

そして…

「空の青さ&海の青」「雲の白さ&波の白」という色彩の対比を表現している

11番の参議篁の歌「わたの原~♪」をイメージしてまれたとされている

権力の絶頂を極めた法性寺入道前関白太政大臣らしい雄大ゆうだいな歌である

藤原忠通ってどんな人?

法性寺入道前関白太政大臣

(ほっしょうじにゅうどう
 さきのかんぱくだいじょうだいじん)

〔1097~1164年〕

本名は藤原忠通(ふじわらのただみち)

父は摂政関白 藤原忠実ただざね

95番の前大僧正慈円は息子

温厚な性格で博学多才な人物

和歌を好み

詩歌や書道、管絃かんげんにも才能を示した

25歳にして鳥羽とば天皇(第74代天皇)の関白に就任

崇徳すとく天皇(第75代天皇)

近衛このえ天皇(第76代天皇)

後白河ごしらかわ天皇(第77代天皇)

四代の天皇に仕える

関白を3度、太政大臣を2度、摂政を3度も歴任した藤原氏の総帥そうすい

総帥(そうすい)とは、総大将・最高指揮官、組織全体を指揮する人のことだよ!

【保元の乱】

1156年7月

後白河天皇と77番の崇徳院の継承問題による内戦

藤原忠通は後白河天皇側につき勝利する

保元の乱の褒美ほうびとして藤原一族全体の「うじの長者」とよばれるようになった

晩年は出家しゅっけして政治を離れ法性寺近くの別荘に住む

74番の源俊頼と75番の藤原基俊ら歌人たちを支援しながら歌合せや歌会を行っていた

法性寺は924年に26番の貞信公(藤原忠平)が創建した藤原氏の氏寺うじでらだよ!

書道や漢詩にもすぐれ、書では「法性寺流」を開いた

平安時代を代表する美文字アーティストだった藤原行成の優雅な書に、忠通が力強く勢いをつけアレンジした書風だよ!

68歳で亡くなった

かな文字であそぼ!

変体仮名:もとの漢字

王多能わたのはら いてゝ見てみ

ひさ可堂かた

くも居二万可いにまか おき白波しらなみ

わたしのひとりごと

うじの長者」とよばれるほどの権力者

法性寺入道前関白太政大臣こと藤原忠通!!

今鏡いまかがみ』には…

歴代の摂政関白の中で、最も才能のある貴公子」とたたえられている

とおったあとにはかおがただよって、まるで『源氏物語』の匂宮(におうのみや)

もしくは…

香大将(かおるのたいしょう)を思わせるような人物であったらしい

これははなやかな平安貴族のエピソード

しかし、時代は平安末期

だんだんと世の中の雲行きがあやしくなり、嵐の時代に突入するのである

【藤原忠通 VS.藤原頼長】

忠通には23歳年下の異母弟がいる

名前は藤原頼長よりなが

彼は父親から溺愛できあいされていた

父と不仲だった忠通は、のちに弟の頼長と敵同士として戦うのである

それが…

1156年の内戦「保元ほうげんの乱

摂関家(せっかんけ)とは…

摂政や関白を輩出している藤原家のことだよ!

保元の乱」とは…

天皇家&藤原家のお家騒動のこと

原因はお世継よつぎぎ問題

はよ、男を産め!!」というやつ

藤原忠通は長女を崇徳天皇に入内させている

入内(じゅだい)とは天皇の皇后・中宮・女御になる人のことだよ!

夫婦仲は良かったけれど、残念ながら子どもに恵まれなかった

忠通もまた男子に恵まれずにいた

そこで登場するのが藤原頼長

父親から勧められ、年の離れた弟を養子として迎えることになったのだが…

弟を溺愛できあいしていた父からは「はよ、関白の座をゆずれ!」と圧をかけられムカついていたところ、忠通が43歳の時に男子が生まれるのだった

ナントッ!!Σ(゚∀゚ノ)ノ

もちろん…

自分の子に家を継がせたい忠通は弟と対立することになる

【後白河天皇 VS.崇徳院】

天皇家はというと…

後白河天皇&崇徳院、どちらの血筋に皇統こうとうを移すかで対立していた

そして…

鳥羽天皇の崩御ほうぎょをきっかけに、武士たちを動員したいくさが始まるのである

禁断の「武力」を持ち出したんだよ!

あれ(・・;)???

天皇家&藤原家のお家騒動なんて昔からあったことなのに…

なぜ、今回は武士が駆り出されたのか?

武士の起源は…

743年の墾田こんでん永年私財法ができた時代

土地のトラブルを武力で解決する人たちがいて、のちに武士と呼ばれるようになったのだ

藤原家が栄華えいがきわめていた藤原道長の時代は、まだまだ武士の力は弱かった

しかも…

平安中期の貴族といえば、尋常じんじょうじゃないくらいに「けがれ」を恐れていたから自分たちで戦うこともしなかったのだ

穢れ(けがれ)とは…

死や病気、出産などのことだよ!

平安時代末期になると力をつけた武士たちが大勢いて「保元の乱」では戦いを依頼したのである

【本当の勝利者】

忠道の長女は崇徳院の皇后だったが、後白河天皇側について勝利する

しかも、この内乱は…

4時間ほどで決着がついたのだとか

ヾ(゚д゚;)オイオイ

中継なかつぎ天皇といわれていた後白河天皇だけど、じつは策士さくしだったらしいよ!

奇襲攻撃によりあっさり壊滅かいめつしてしまった崇徳院は讃岐さぬきに流され、藤原頼長は戦死してしまった

このいくさで権力を握ったのは…

後白河天皇でもなく藤原忠道もなく武士でもなかった

その人物とは信西しんぜいという僧侶である

オマエ、ダレヤネン‥(ㆆдㆆ)?‥

本名は藤原通憲(ふじわらのみちのり)

藤原南家の血筋

今まで藤原北家から摂政や関白になれる摂関政治のシステムを良く思っていなかったからだ

藤原氏は4つの家系(南家・北家・式家・京家)に分かれているよ!

後の1159年「平治へいじの乱」のカギを握る人物となる

【内戦のあと】

保元の乱の褒美ほうびとして「うじの長者」と呼び名を与えられた藤原忠道だったが、この内乱がきっかけで摂関家(藤原北家)が落ちぶれてしまったのである

罪悪感ざいあくかんがあったのだろうか…

1162年に出家しゅっけし政治を離れる

彼は藤原道長よりも活躍した人物だったらしいけれど、あまり有名でないのは摂関家が凋落ちょうらくしたきっかけを作った人物だからという説もある

いろんな思いはあるけれど…

晩年は源俊頼藤原基俊たちと歌会を楽しんでいたみたいだから、幸せだったと思いたい

参考文献

【書籍】

1.神作光一 監修
 小学生のまんが百人一首辞典
 出版社 学研プラス/256頁
 発売日2005年12月

2.著書 小池昌代
 ときめき百人一首(14歳の世渡り術)
 出版社 河出書房新社/256頁
 発売日1017年2月

3.吉海直人 監修
 百人一首大事典 ―完全絵図解説―
 出版社 あかね書房/143頁
 発売日 2006年12月

4.著書 佐佐木幸綱
 口語訳詩で味わう百人一首
 出版社 さ・え・ら書房/221頁
 発行日 2003年12月

5.著書 富谷松雲
 (ポケット版)常用漢字準拠
 ―八体事典―
 出版社 有紀書房/400頁
 発行日 1993年4月

6.編集 千草会/発行者 内山清蔵
 百人一首
 発行所 松魁堂/113頁
 発行日 1998年5月

【Webサイトの記事】

1.フリー百科事典 ―Wikipedia―
 藤原忠通
 生涯・人物
 更新日 2025年3月17日
 参照日 2025年5月15日

 保元の乱
 背景・経過
 更新日 2025年2月8日
 参照日 2025年5月15日

2.百人一首を探ろう
 法性寺入道前関白太政大臣
 プロフィール・百人一首和歌へ
 参照日 2025年5月15日

3.変体仮名を調べる
 ―五十音順一覧―
 参照日 2025年5月15日

【写真】

1.写真のフリー素材サイト
 ―Photo AC―
 水平線

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